当たり前

当たり前

「当たり前」それって一番思ったらあかん事。
なのに、気が付いたらすぐ「当たり前」になってしまう。

そして、それが無くなって初めて有難さに気が付く。
全てが感謝の固まりなのに、意識しようがしまいが、すぐに当たり前の渦に巻き込まれる。
今の、あなたはどう?

もう全てを失ったとか、何もないとか、ホントは頂いているものが沢山あるにも関わらず、見えてないだけって事に気が付いてる?

太陽、月、地球。。
空気、水、電気。。

どれ1つ無くなっても人間にとったら大問題やし、奪い合いをしてもおかしくない程の存在。
ちゃんと、当たり前ではなく、「感謝」してる?
昔、富士山に登った時に、物凄く教えられた事の1つ。

普段、当たり前に昇る太陽を富士山では「ご来光」と言う。
どの世界から見ても同じ、太陽なのにね?

山道を登るにつれて気圧が低くなり、酸素が薄くなる。
下手をしたら、それだけで高山病になって、下山しないといけない。
寝てる間も、散々酸素を使ってるのにね?

山小屋で食事と一緒に出してくれる「水」は高い場所になる程、コップに半分も貰えたらいいところだし、トイレだって、山小屋利用者しか使えないとか普通にある。
世界には、飲み水を確保する為に、命がけで地雷を避けながら何キロも子供達が1日の仕事としている場所だって沢山ある。

蛇口を捻ったら、綺麗な飲み水が出る事が「当たり前」になってない?
自然や、利便性だけではなく、自分の置かれた環境や、状況に不満ばかりで、「存在する事」それを「頂ける事」に「感謝」する事を忘れてないかな?

どんなに不幸で、悩みが深かったとしても、また、逆だったとしても、飯も食うし、水も飲む、それをしたら排泄もする。
それを自力でする事すら、難しい人達だって沢山いるのに、全てが当たり前になりすぎて、無くならないと気が付かない。

今のあなたは、目に見える物、見えない物、全てを含めて、きちんと”ある事”に「感謝」してるだろうか?
食べ物1つだけをとっても、品種改良などを研究する人や、それを育てる人、運ぶ人、売る人、調理する人。。
様々な人達のあらゆる犠牲の上にあって、自分は一番美味しい部分を貰っているにも関わらず、それに有難さをきちんと感じる事すらあっさりと忘れたりする。

ホントに水が無くなったら、人間は自分の尿でも飲んで生きようとするんやで。
食べる物が無くなったら、あり得ない物だって食べるし、幻覚を見て、食べられない物だって、口にする。
全ては当たり前ではなく、感謝の固まり。

それに気が付いたら、毎日が有難すぎるくらいだと思うけど、今のあなたはどう?
どんな人間にも平等に割り振られてるたった24時間の中で、いくつの「感謝」をした?

明日も当たり前に太陽が昇って、水も空気もあって、24時間を与えてもらえるって勝手に思ってない?
誰しも、それを保証する事なんて出来ないし、自分がまだ存在出来る確証なんてどこにもないのに、唯々「当たり前」になってない?

人間の当たり前程不安定で、怖い物はないと思う。
戦争になれば、当たり前に人を殺す事だって出来てしまうんやで。

そんな不安定でつまらない「当たり前」の渦に飲み込まれるのではなく、1つ1つに「感謝」する余裕くらいはあっても良いと思う。
1つ1つに「感謝」する事が出来る様になるだけで、更に大きな感謝が出来て、幸せに気が付く事が出来る。

幸せってなるものじゃなくて、気が付く事。

今の自分が存在する事自体、決して当たり前ではないし、その存在がプチンと途切れる時は、すぐそこなのかもしれない。
ただ、その部分を見ていないだけ。
たった1回の呼吸でも、感謝の気持ちを持ってすれば、細胞1つ1つに良いエネルギーを取り込んで、いらない物を排出する事が出来る。
もう、たった1回の呼吸すら、出来なくなってしまってから、気が付くのではなく、今、この機会に「当たり前」から「感謝」に変えてみても良いのではないだろうか?

それを出来るのは今の自分自身だけだし、決して難しい事ではないのだから。
読んでくれてありがとう。
繋がってくれてありがとう!

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